公務員関連のニュースに元外交官が気のおもむくままにコメントをしていくコーナーです。
今日は、「キャリア官僚の退職率が増えている」というお話です。
(元記事リンクはこちらから↓)
キャリア官僚の在職10年未満「退職」問題...人事院が公表 3年連続100人超の驚き、働き盛り30代に何が?
もくじ
辞めて当然だな
この記事の見出しを見たとき、一番始めに出てきた感想がそれでした。
一生懸命勉強して、いい大学入って、そこでもたくさん勉強して、やっと合格した総合職試験。いわゆるキャリア官僚。
多くの人は、「すごい!」「素晴らしい仕事!」「将来安泰だね」とか、いろいろ思っていそうですが、その人が辞めるとき、「なんで!」と思うかもしれません。
当然です。
そんなにいい大学入って、たくさん勉強して、さまざまな知識があるのに、「今の」霞ヶ関の役人を続けるなんて無理だからです。
「奉仕の精神」がないのか
「仕事にやりがいを感じ、奉仕の精神を持った国家公務員、キャリア官僚が増えることを望むばかりだ」
この記事はこういう言葉で締めていますが、元官僚としてちょっと心外です。
辞めていったキャリア官僚の方々について、あたかも日本や国民に対する奉仕の精神がないような書き方をしていますが、国家総合職を選んで入ってくる人たちは、当然、入省してくるときは高い志や、大好きな日本のために頑張りたいという気持ちが、人それぞれあって、それで入ってくる人達がほとんどです。
自分だって、「大好きな日本のために頑張ろう」と、そういう気持ちはもちろんありました。
でも、今、霞ヶ関の役人として働いていると、「自分は何のために働いているだろう」という気持ちが大きくなってしまうのです。
それには、官僚と政治家、国会との根深いつながり(「システム」と言ってもいいかもしれません)があるのです。
「先生方」の存在
議員は神様
まずは、「先生方」、つまり国会議員の存在と官僚との関係です。
役人にとって、国会議員の先生方は神様です。
決して逆らってはいけませんし、逆らえばどんな報復が待っているかわかりません(資料要求や説明依頼、主意書攻撃などなど)。
依頼が来れば断れないし、どんなとんちんかんな質問や依頼であったり、無理難題であっても、役人としてはなんとか答えを作って提示する必要があるんです。
それには大きな労力がかかりますし、自分が元々やっていた仕事を一時的に中断してやらざるを得ません。
国会議員の先生方は、官僚の仕事の都合など考えてくれませんから。
コロナでも、アフガンのことでも、ウクライナのことでも、一つのことにスポットが当たると、特定の省庁や部署が急激に忙しくなるものですが、こればかりは天災と思って仕方ないと思うしかありません。
しかし、ただでさえ対応に追われ忙しい中に拍車をかけるのが、国会議員からの説明依頼や資料要求です。
世界でも日本国内でも、一つのことにスポットがあたると、国会議員の先生方は、皆それぞれがそれぞれの思惑で食いついてきます。
純粋に、自分の仕事としてその問題を担当している人、自分の人気取りのために何か利用できないかと首を突っ込んでくる人、支援者に言われて口出ししてくる人、本当にいろいろいます。
そういう先生方がごろごろいるわけですから、その問題を扱っている特定の部署は、同じ説明依頼をいろんな議員から要求され、何回も同じ説明を同じプロセスを踏んでやらないといけないわけです。
当然、他にもやらなければいけない事務的・実質的な仕事がある中、そのような突発的な仕事が降ってくるわけですから、時間はいくらあっても足りません。
結果、本来官僚として、役人としてやらなければいけない仕事は、「先生方の面倒をみた」後、つまり定時後に対応せざるを得ないわけです。
とんでもない非効率です。これによって、残業代がどんどん増え、タクシー代も追加されるわけです。しかも、これらは全て税金です。
「官僚はタクシーなぞつかってけしからん!」とか、的外れな指摘はやめてください。
あなたがそれを言うべきなのは、そのようなシステムを作り上げた「先生方」、そしてその先生方を選んだ「あなた自身」に対して、ですよ。
私は国家公務員がそれ相応の給料をもらうことをは当然だと思っています。
官僚の仕事にはそれだけの価値があると思っていますし、むしろ少ないと思っています。
唾棄すべきは、それら国民の血税を、くだらない説明依頼や、いたずらに質問通告を送らせてわざと官僚を残業させ、一日に莫大な残業代とタクシー代を発生させている、一部の「お偉い先生方」だと思っています。
もう一度繰り返しますが、これらの莫大な費用はすべて税金です。
一部の不誠実な議員の思惑や行動で、これらの莫大な税金が、決して正しくない方向に使われるわけです。
この事実を知らない人が本当に多いです。
なぜそんなことができるのか。
国会議員というのは本当にさまざまな特権があります。
その特権を一人が乱用すれば、莫大な税金が動くわけです。
上にあげた例は氷山の一角にすぎません。
この、議員の特権、そしてその議員から言われたら、どんなに急がしくとも、自分勝手な依頼であっても、官僚は受けざるを得ないという、このイカれたシステムと風潮をなんとかしないといけないのです。
それには新進気鋭の若い議員(なんとか太○とか、「ぶっこわす!」とか連呼しているような人ではだめです)と、改革の志を持った部下思いのキャリア官僚が必要です。
まあ、上に行く人は、政治家の先生方への忖度がうまい人だけですけどね
優秀で高い志を持っている人が辞めていく。
これは残念なことではありますが、この「優秀な人を壊しつぶす」システムが根本的に変わらない限り、今の霞ヶ関で働きつづけるのは無理ゲーです。
このシステムをぶち壊すことは可能なのか
この「イカれたシステム」も、何十年という長いスパンで見ていけば、やがては改善されることにでしょう。
今のグローバル化の波はすさまじいものがあり、日本もその影響を受けないことはありません。
この影響を受ける限り、今の日本のシステムが一生変わらないということはありえません。
ただ、日本の文化や政治の風潮は結構根深いものです。
グローバル化の波だって、日本では非常にゆっくりなものですし、急に変わることは無理です。
あと何年、何十年かかるのか、想像できません。
議員至上主義、メディア・世論の影響力と質、高級官僚の忖度気質、国民の政治に対する理解の質等々、根本的に変える必要があるものがたくさんあります。
理想的なルートとしては、
- →国民の政治に対する理解度と関心が高まる
- →国民が本当に質の高い政治家を選ぶ(それによって質の悪い政治家は淘汰される)
- →優秀な若い人が政治家になる
- →既得権益や悪しき風習を廃止
- →役人と政治家との間で正しい立法と行政のあり方ができる
- →官僚の働き方改革につながる、
というものですが、これを見てもわかるとおり、根本は、まずは国民一人ひとりの政治に対する理解や関心が変わることでしょう。
一部の優秀で高い志を持った政治家が官僚がいたとしても、国民全体の政治に対するあり方が変わらない限り無理です。
官僚として働ければ、楽しいこともある
最後に、これまで官僚として働くことの悪い面ばかり書いてきましたが、当然悪いことばかりではありません。
官僚、私の場合は外交官として働いてきましたが、外交官として働けば、多くの貴重な経験や人との出会いを得られます。
「国家レベル」での仕事(外務省でいえば、要人往来をはじめ、G7サミットなどの国際会議やオリンピックなどの国際スポーツ大会の準備)はやはりスケールが大きいので、達成感はひときわ多い気がします。
また、人との出会いもかけがえのないものです。
当然、外務省の中には変な人もいますが、優秀で自分の知らない経験を持っている人がたくさんいます。
防衛省やインテリジェンス機関の人との交流なんかもあり、普段絶対知りえない話を聞けますよ
そういう人達との出会いは、自分の世界にまったく違う刺激を与えてくれます。
ですから、自分はもう外務省の人間ではありませんが、外務省時代に関わった人たちとの交流は今も続いていますし、外務省退職後の自分の第二の人生において、非常に大きな糧となりました。
なので、外務省に入ったことに関しては、今もまったく後悔はありません。
何が言いたいかと言うと
元のテーマに戻ると、国家公務員の総合職がどんどん辞めてしまうという事実は、今の官僚制度と国会、世論との関係を考えれば、当然です。
他方、官僚という仕事でなければ経験できないこともあるので、私自身、読者の皆様に対して「官僚にはなるな!」なんて言うつもりもないんです。
結局のところ、今の「官僚」という職業は、公務員に対する世論の目が厳しくなるにつれて、「引き締め」ばかりが強くなってしまったんです。
誤解を恐れずに言えば、外交官として働くことの「うまみ」(給料や優遇など)ばかりが減ってしまって、嫌な仕事と厄介なクレーム対応ばっかりが多くなってしまいました。
「公務員は国民の奉仕者なんだから、清廉潔白であるべきだ!」などど言う人がいますけどね。
公務員だって人間なんだということは、国民の中の一部のクレーマーさんにはわかってほしいものです(^^)
「奉仕の精神」なんて言葉だけで片付けないでほしいものです。人は、志と気合だけで働きつづけるなんて、できっこないんですから。