Mさんは難関の試験に受かって入ったのに、なぜ外務省を辞めてしまったのでしょうか?官僚の仕事が大変ということは聞いたことがありますが、「外交官」という世間一般には高い地位を捨ててでも辞めたいと思ったのでしょうか?詳しく聴かせてください。
ついにこんな質問を頂いてしまいました。
外務省を本気で目指している人、特に試験を間近に控えている人は、今はこの記事を見ないほうがいいです。
本記事の内容
- 私Mが外務省を辞めた理由
- 包み隠さず述べます
- 辞めたことへの後悔は皆無です
- でも、入ったことへの後悔もありません
もくじ
英語が苦手
外務省で働くからには、英語は必須です。
英語は世界の公用語であり、外交の舞台では皆が英語でコミュニケ-ションを取ります。
英語ができない外交官は、外交できません。
この「英語ができる」というのは、何も英語ネイティブのようにしゃべれなければいけないのかというと、そういうわけではありません。
あくまで、英語で外交文書が読めて、英語で外交交渉ができればよく、これは在外語学研修という機会を与えられている外交官にとって、そのレベルに到達することはそこまで困難なことではありません。
ただ、自分には、この英語を使って働くことが苦痛だったんです。
私自身、それなりに英語は書けて読めて理解できますが、それでも自分の母国語である日本語と比べればそのレベルの雲泥の差ですし、仕事をやっていて「ああ、もしこの文書を、この外交交渉を日本語で行うことができたらどんなに楽か」と何回も思いました。
こう思ってしまったら、もうおしまいです。
今は退職し、日本語で好きなように仕事ができる時間を謳歌しています。
日本人の外交官として働くということは、英語で仕事をしなければいけないという意味で、始まりの時点から英語ネイティブとの間で圧倒的なアドバンテージの差があるわけです。
外交官として働こうと志している人は、まずこの歴然たる事実を自覚し、覚悟する必要があります。
人と会うのが苦痛
外交官は人と会うのが仕事です。
当然、知らない人、しかも外国人と積極的に会って交流し関係を築いていかなければいけないので、人と会うことが仕事です。
私のような人見知りにはハードルの高い仕事でした。
加えて、外交官が人と会うときは、まず関係を築くことが大切なので、会う目的も「二国間協力の意見交換」や「関係構築」など、曖昧模糊とした理由となります。
そのような曖昧な理由でわざわざ知らない人と会わなければいけない・・・
私にはハードルが高かったようです。
頑張った先に成果があるわけではない
外交には政治外交、経済外交、文化外交、スポーツ外交など、さまざまな様態がありますが、外交官の仕事は目に言える成果がすぐに現れるわけではありません。
例えばG7外交。
日本はG7諸国の一角なので、必ず7年に一回は議長国(次の日本の議長国は2023年)となります。
議長国となれば、一年に必ず一回は日本国内においてG7サミット(前回は2016年の伊勢志摩サミット)を開催する必要があり、この準備のために外務省は要人接遇のために大忙しとなるわけです。
外務省内にサミット準備事務局というものを立ち上げ、在外公館を含めたあらゆる場所に配置された外務省員をかき集め、事務局員として配置します。
そして、当然そこの事務局員はサミットの準備(ロジ)のために大忙しとなるわけです。特にサミット開催1カ月前などは目の回るような忙しさです。
疲れた体にムチ叩き、
あらゆる関係省庁や民間企業、官邸、政治家との調整に胃を痛め、
睡眠時間を削り、
必死の想いでサミットの成功のために身を粉にして頑張るわけです。
では、その「成功」の果てに残るものは何か?
何も残りません(個人の感想です)。
せいぜい要人を迎えるために作った施設などですかね。
でもそういうインフラは大抵壊され現状に戻されます。
東京オリンピックの時に作られた新国立競技場(通称「〇器」)がいい例ですね。
あとG7共同宣言が残りますね。
G7共同宣言とはG7サミットの形式的な成果物で、G7の総意として「世界の現在のこの地域の情勢を憂慮する」とか「この国はけしからん」といったことが大仰に書かれた文書のことです。
それだけです。
本来外交とはこういうものですから、これら国際宣言の効力を真向から否定するようなことは、私も言いません。
それにこのG7サミットをやることによって、あらゆる人やモノが動くので、そこに経済的効果が期待できることも確かです。
でも、私は、G7サミットに関わったことがある者として、頑張った末に残った宣言に「成果」としての意味を見出すことはできませんでした。
「え、こんなに税金使って、寝ずに頑張って、残ったのはこれだけ?」
「この宣言に一体どれだけの効力があるのか」
「ならず者国家にとってこんな宣言屁とも思わない」などなど、
G7サミット開催そのものの意義を真向から否定するような考えばかりが浮かびました(仕事は仕事なのでしっかりやったつもりです)。
当然、人によっては、このG7サミット開催とそれに関わることを自己実現としてやりがいを見出す人もいます。
その人の気持ちもわかります。
ただ自分はそれができなかった、そして働くやりがいを失っただけ、という話です。
他の例も挙げてみましょう。
例えば、経済外交として、発展途上国等への資金協力(ODA)があります。
発展途上国の在外公館に新人として館務に就けば、大抵このODA等を含む経済協力に従事することになります。
私も、とある国の在外公館にて、その国に対する無償資金協力などの経済協力に従事しました。
経済協力の場合、その国と我が国日本との間で当然契約が書面で交わされることとになります。
こういう書面の一つにE/N(Exchange of Note)という形態のものがあります。
簡単に言うと、お互いに契約書に一部ずつサインして、それをお互いに交換するというものです。
私は、その国へ日本から無償資金協力を行うために、このE/Nの作成と先方との文言調整、署名式、口座開設などの仕事に従事したことがあります。
これも大変な作業なのですが、頑張った結果が文書に残るという意味で、まあ一応は頑張れました。
でもそのあとに来る感情は、
「でもこれを頑張ったところで給料があがるわけでもない」
「送ったお金は税金から出ているのに、これが全て正しく使われる保証もない。汚職に使われるかもしれない」
「せっかく無償で資金を送っているのに、送られた側は当然のような顔をしている」等々、
さまざまな負の感情が出てきたり、実際に嫌な経験をしているので、これについても特別なやりがいを感じることはできませんでした。
ある意味、私が今述べていることは、外務省のみならずいろんな会社の中でも起こっていることなので、「贅沢言うな!」と怒られてしまうかもしれません。
外交に興味がなかった
もうはっきり正直と述べます。
私は「外交」という仕事にあまり興味がなかったのです。
興味もないのに、身を粉にして一生懸命頑張り、でも残ったものはほとんどないという状況に、
「自分はいったい何をやっているんだろう」
という一種の「惨めさ」を感じてしまったのでしょう。
今でも外務省を辞めたことに一片の後悔もありません。
自分の存在意義を見失った
「これ、自分じゃなくてもいいな」
外務省、特に霞ヶ関にある本省で働いていると、やることに意義を見出せない仕事が90%以上を占めます(個人の感想です)。
言語を磨き、
専門知識を身に着け、
在外公館でたくさんの要人と人脈を作り、
さあ日本に戻ったら日本の外交政策のために存分に働くぞ!
と思っていたら、外交政策立案なんて二の次。
待っていたのは官邸のお世話、議員のお世話、その議員に説明しにいく上司のお世話でした。
私にやりがいからほど遠い絶望を与えてくれた仕事を以下のとおり挙げてみました。
- 国会対応
- 上司のためのムダな資料作り
- 無駄な決裁回り(合議といいます)
- 消極的主観争い
これらのことは別の記事に詳しく掲載しているので、興味がある方はそちらをご参照ください↓
個人主義、自己防衛、すさむ心
外務省は個人主義です。
ここでいう個人主義とは、チームで動くという意思が全くないことです。
普通、ある人に多くの負担がかかってしまい、その人ばかりが残業しているような状況であれば、組織としてなにかしらの是正作用が働くべきです。
外務省にはそれが全くありません。
課や室、その中で班に分けられていても、それぞれの職員に特定の仕事や国担当が割り振られており、例えば〇〇国でクーデターが起こって、日本としても何か対応しなければいけないという状況になれば、その国担当の負担が増えるのは当然です。
そのような突発的な事案によってある課員の負担が増えてしまったら、その課員のために課が全体となって助けるべきなんです。
でも、外務省にはそういう動きが全くありません。
常に忙しく残業している人の横を、他の人が定時になったらスッと通り過ぎて帰宅するような職場です。
この外務省の極端なまでの個人主義的な仕事のやり方には理由があります。
結局、官僚は役人です。
役人は、決められた仕事以外の仕事が降ってくると、それをやることに全くなんのメリットもない(給料増えない、昇進しない、褒美もない)ので、やるだけ無駄なのです。
自分のプライベートの時間だけが減っていきます。
ただでさえ仕事が多い本省なので、外務省の官僚一人一人は、組織として上記に述べた是正機能が働いていないので、自己防衛本能として余計な仕事を排除するようなマインド設定になってしまっているのです。
こういうマインドですから、上記でも述べた消極的主観争いという醜い争いが発生するわけです。
理不尽、大切にされない、体を壊す
上記の自己防衛の話と関係しますが、外務省で働けば理不尽の連続です。
議員から常に自分勝手な依頼をされ、
上司からはパワハラ、
サービス残業は日常茶飯事です。
本省では給料も安く、よく世間で言われる「国家公務員の給料は高い」なんて嘘っぱちです。
働いた分だけの給料をもらっているかというと、全くそんなことはありません。
結局役所ですから、法律や規則にがんじがらめなので、これは人道的見地からあきらかに報酬アップや褒章を与えるべきという状況(さまざまな国に赴任をする外務省員なので、そのような状況は結構あります)にもかかわらず、「法律で決まっているから」の一言で、割を食って苦しんでいる職員に対して何もしてくれません。
仕事としてそこに派遣されているにもかかわらず、です。
若手や人材を大切にしない組織に未来はありません。
残念ながら今の外務省は、人材を駒としか見ていません。
組織として、根っこが腐り始めていると言わざるを得ません。
このような傾向は外務省だけでなく官邸を始め、全ての国家機関に見られる兆候です。
言い過ぎではないかというぐらい書いてしまいましたが、これは私が実際にこの組織に所属し、退職の寸前まで肌身で感じたことです。
将来が見えない
昇進した先に何があるのか。
外務省はその名のとおり、外交をやるところです。
日々、我が国日本のために戦略的な外交政策を考えるべき機関です。
ですが、私が最近までいた外務省は、国会対応に割くべき時間が多すぎて、全く外交政策が練れているようには思えません。
国会対応をはじめとするその他の業務は、あくまで副次的な仕事であるべきであり、最も重要な外交政策を考えるべき外務省の上層部が国会議員対応に追われてしまっており、本来の目的を見失っているように思えてなりません。
極めつけは、官邸主導による外交です。
外務省が担当ベースから練り上げた外交政策や政策の骨子、発言応答要領などは、官邸の鶴の一声でコロコロと変わります。
官邸の言いなりになって外交の最も重要な根幹部分を変えるようでは、何のための外務省なのか。
特に、官僚は政治家のお偉いさんに気に入られる事で昇進していくのが現在の霞ヶ関の仕組みですから、官僚のお偉いさんの中にも「忖度官僚」が増えていることは、非常に嘆かわしいことです。
昔は官僚主導の日本なんて言われて批判されていた時代もあるようですが、今はあまりにも政治家主導に傾きすぎているように思います。
現場にいない政治家の決定に全てを任せるような国家体制で、果たして有事のときに日本を護ることができるのか。
最近のウクライナ情勢を見ていると、そう思わざるを得ません。
官邸の決裁を取っている間に、永〇町に某北の国からミサイルが落ちてくることでしょうね。
それでも続ける人はいる
家族のために
家庭を持っている人、今後のプランがない人などは、なかなか外務省を離れることは難しいでしょう。
腐っても外交官ですから、社会的ステータスもありますし、全ての仕事が激務というわけではないので、ただ家計を支えるために外務省に残るというのも一つの選択だと思います。
語学が好き、外国生活が好き
小さいころから外国生活で、日本語以外の言語を話すことに全く抵抗がないとか、外国で暮らすのが好きという方は、確かに外務省は向いていると思います。
勤め続けていればローテーションで在外公館に赴任しますし、ある種やはり日本という国は一種の窮屈さがありますから、すでにマスクをする必要が全くない外国にでも行って自由に暮らしたいという人もいます。
語学が好き、外国の生活が好き、海外旅行が好きという方は、外務省で働くことに合っているのでしょう。
人と会うのが好き
上記でも述べましたが、外交官の重要な仕事の一つは「人に会う」ことです。
知らない人でも抵抗なくアポを入れて、気軽に会いにいける人は、在外公館勤務などには向いていると思うので、こういう人も外務省で働き続ける理由があるでしょう。
あらゆることに好奇心が持てる
これが、私が知っている尊敬できる日本の外交官皆に共通すると言っても過言ではないのですが、30代、40代で外務省においてバリバリ仕事をやっている、いわゆる外務省を支えている優秀な中堅職員の方々は、例外なく「あらゆることに好奇心旺盛」だと言うことです。
知らない人に会いにいくにしても、その目的の多くを占めるのが「情報収集」であり、その根源は「自分の知らないことを知りたい」というその人個人の欲求があります。
外務省はいい意味でも悪い意味でも横断的であり、あらゆる分野の仕事があります。
そして、外務省に務めていれば、一つの専門性を駆使して一つのポジションに、というわけではなく、あらゆる分野の仕事を求められることになるので、今まで全く関わったことのない分野の仕事に飛ばされることなどもしばしばあります。
でも、上記で述べた好奇心旺盛な人達は、そういう状況をむしろ楽しんで、どこに言っても即戦力としてバリバリ働いていました。
また、そういう人達は、言語に対する好奇心も旺盛なので、言語の流暢さや発音のうまさなどは置いておいても、「この人とコミュニケーションを取って必ず友達になるんだ。そして情報を取る!」という気迫が凄まじいのです。
私はそういう人たちを数人見ましたが、「ああ、こういう人たちのおかげで、外務省はなんとか持ちこたえているんだろうな」と思ったものです。
こういう人は総合職、専門職で入るべきではない
せっかくなので、これから外務省を目指そうと思っている有望な方のために、以下の確認項目を作りました。
これから外務省に、総合職または専門職で入ろうと思っている方はぜひ参考にしてください。
一つでも当てはまるようなら、今一度外務省を志望した理由を再考してみるのも一案かもしれません。
外国人と話すことに抵抗がある
外交官として働く以上、英語+アルファが必要です。
ネイティブのようにしゃべれとは言いません。
ただ、外国人と英語で問題なくコミュニケーションが取れ、自分の意思をゆっくりでもいいからしっかり相手に伝えることができるぐらいの言語力は必要です。
注意すべき点は、言語が非常に良くできる人の中にも、外国人との会話に抵抗を感じてしまう人がいるということです。
ある二人の先輩がいました。一人をAさん、もう片方をBさんとしましょう。
二人の英語力について、Aさんは外国人と不自由なく会話できる程度に高いものであり発音もうまく、対してBさんのほうは英会話はもちろんできるが発音も流暢さもいわゆる日本語英語という感じで、AさんのほうがBさんよりもTOEFLの点数が高く、総合的な英語力はAさんのほうが確実に高いという状況でした。
にもかかわらず、在外公館において比較的大きな会食をやった際、Aさんは英語が流暢であるにもかかわらずあまりしゃべらず質問もしませんでした。
対してBさんは、自分の英語の拙さもなんのそのという感じで、聞きたいこと、気になったこと、しゃべりたいことを知っている単語を駆使して積極的にコミュニケーションを取っていました。
また、日頃の情報収集において、BさんのほうがAさんよりもよく外に出て、人と会い、人脈を作り、有用な情報を得て公電にするなど、館への貢献度という観点からはBさんのほうが優れていたように思います。
このことからもわかるとおり、外交官としての資質は決して語学力だけで決まるわけではありません。
最終的に大事なのは、相手とコミュニケーションが取れるかどうかということです。
特に強調したいのが、日本人との間でコミュニケーションをうまく取れている人が、外国人相手にも同様のコミュニケーション能力を発揮するとは限らないということです。
実際、日本人の間では寡黙な人でも、外国人とコミュニケーションを取った途端人が変わったようにしゃべる人は多くいます。
よって、ここでは語学が好きとか語学レベルは置いておいて、自分が外国人と話すことを想像し、そこに強い心の抵抗を覚えるようであれば、要注意かもしれません。
「通訳」という仕事を楽観的に考えている人
総合職・専門職で外務省に入る以上、ほぼ全ての人は通訳という仕事から逃れることはできません。
「首相、大臣の通訳なんてカッコいい」と思っていられるのは今だけです。
ランクが上がれば上がるほど、通訳をやるときのプレッシャーは半端ないものがありますし、生半可な語学力では到底通訳なんてできません。
よくある勘違いが、「在外語学研修が2年間もあるんだから大丈夫!」なんて楽観的に捉えている人は要注意です。
「外国人と会話が問題なくできる」ということと「通訳」は全く別物であることを認識してください。
それこそ、一からある言語を2年間で通訳レベルまで上げるためには、毎日自分にプレッシャーをかけまくって、血反吐を吐くような努力をしなければ、とてもではないですが通訳レベルには届きません。
でも、総合職・専門職で働く以上、いつか必ず通訳をしなければいけない機会があるので、そのことをしっかりと胸に刻んだ上で外務省に入り、語学学習に覚悟を持って取り組んでください。
通訳という仕事は必ず回ってきますが、全くうまくできなかった時の惨めさは・・・トラウマです。
理不尽耐性が低い
官僚として働くことになれば理不尽なことがたくさん待ち構えています。
国会対応なんていうものが存在する時点でお察しですね。
この点については、すでに何回も述べてきたので、ここでは語りませんが、理不尽なことに対して割り切り、時には自分の信条をまげてロボットのように働かなければならない場面というのはたくさんやってきますので、それに耐える自信と覚悟がなければ、外務省に入ることは辞めておいたほうがいいかもしれません。
心のどこかで「給料」と「安定」に期待している
官僚を目指す方ですから、国家公務員が割りに合わない職業だということは、いろんなところで一度は聞いたことがあると思います。
それでも、国家公務員を目指す多くの大学生は、
「そういっても給料高いよね」
「働き続ければ安定してるし」
「社会的ステータスも高いし」
などど思っています。
私もそう思っている時期がありました。
結局上記で述べたような利点もあるわけだから、ある程度の残業や理不尽は耐えれるだろうと。
しかし今の霞ヶ関は、そのような社会人前の大学生の甘い考えを遥かに凌駕するような勤務体制です。
そこに労働基準法は適用されませんし、なんなら生存権を脅かされるような働き方を強制される状況もごまんとあります。
じゃなかったら、若手の外交官がこんなにどんどん辞めるような事態にはなりません。
「外交官という社会的ステータス」「公務員という安定」を捨てて退職していくのですから、そこには必ず理由があるものです。
ということで、外交官・外務省に対する甘い楽観的考えや幻想を抱いているようなら、再考は必須です。
一般職はそれでもおすすめ
これまで散々けちょんけちょんに外務省に入ることのデメリットばかりをお話してしまいましたが、ここからは少し良い話をしようと思います。
外務省に入るのは、何も総合職や専門職だけが道ではありません。
高校卒業して試験に受かったら「高卒一般職」として入れる道あるわけです。
今のような外務省や政治体制が残ったままで、もし私が将来子供から「大学卒業したら外務省に入りたい!」と言われたら、上記で述べたデメリットを全て包み隠さず伝え、「それでも入る覚悟があるのか?」と真剣に問い詰めると思いますが、高卒一般職で入るなら迷わず勧めることでしょう。
それだけ私の目からは、高卒一般職の方の働き方が魅力に移ったものです。
もちろん、誤解がないように言っておくと、高卒一般職が楽なわけでは決してありません。
部署によって夜中まで残業している人たちもたくさんいます。
あくまで、私がもしもう一度外務省に入るとしたら、自分の働き方や性格や家族のことをいろいろ考えれば、迷わず高卒一般職で入るだろう、ということです。
外務省高卒一般職の魅力については、別途詳しい記事も書いているので、下記リンクからご覧ください↓
それでも外務省に入ったことに悔いはない
この記事をここまで読んでくださった方のほとんどは、外務省のブラックさを知り、入ることを思い直してしまったかもしれません。
自分でもあまりにも率直に書きすぎてしまったかと反省する想いです。
ですから、今更説得力は皆無かもしれませんが、私は外務省に入ったことについて実は全く後悔しておらず、むしろ入ってよかった、ということを強調しておきたいと思います。
かけがえのない出会い
外務省にはいろんな人がいます。
憎むべき上司もたくさんいます。
でもそんな人たちは今後の酒の肴にでもして、面白可笑しい思い出話にしてしまえばいいです。
大事なのは、外務省で働く過程で私は、かけがえのない友人、先輩、後輩と出会えました。
彼らは、自分にはない知識や技能、考え方、志を持っており、知識的にも精神的にもさまざまな触発を受けました。
そういう方々との出会いは、自分が外務省に入り、在外公館で勤務し、さまざまなイベントに参加しなければ、成しえなかったことです。
「外務省に入ってなければこの人たちとの出会いはなかった」
そう思うと、外務省に入ったことを、事実として悪口は言えど、後悔なんてするはずもありません。
普通の職場ではできない経験
外務省でしか経験できない行事もたくさんありました。
あまり詳しく書いてしまうと特定されてしまうので書きませんが、いわゆる世界中の人が集まる国際会議やイベントが日本で行われたときには、私も外務省の事務局で働きました。
先にも述べたとおり、それらのイベントの外交的な意義というものを見出せませんでしたが、それでも「非日常的」な仕事の中で、仲間とともにやり遂げた経験と達成感は、今でも鮮明に覚えています。
偉い人の通訳もやりました。
偉い人の通訳をやれば、メディアとかにも取り上げられますから、自分が通訳をやっている姿がメディアにでます。
それ自体には世間一般的にはなんも意味のないことですが、やはり個人的にはやってる感が出て嬉しくなりますし、私の家族や友人など身近な人も喜んでくれたりします。
結局、最後に後悔しないことが大事
どんな噂があろうが、実際に入ってみて、経験して、知るということも結構大事なんです。
ですから、私は外務省に入ってさまざまな理不尽な経験をしてきたわけですが、例えば別の職場に行って、そこの環境も劣悪で、「ああ、やっぱり外務省に入っておけばよかったかなあ」なんていうことは、今後思わないわけです。
だって、実際に経験したのですから。
やっておいて良かった。
入ってよかった。
外務省に入らないことを選んで、のちのち後悔するより、そっちのほうがよっぽどいいと思います。
外務省での経験があって、今新しい道に踏み出すことができましたから。